恋死なん、後の煙にそれと知れ、つひにもらさぬ中の思ひは
葉隠より
恋い焦がれたまま死のう。最後まで告白しなかった胸の内は、自分の亡骸を焼く煙を見て、それと知ってください
忠義の本質
「葉隠」の中で山本常朝が武士道の【忠義】について語る時、この和歌を引用しています。
常朝は、武士の主君に対する思いを「忍ぶ恋」にたとえています。
勇猛な武士のイメージから、「恋心」というものは中々結びつかない気がしますが、片思いのような感覚だと思うと【忠義】というものが少し分かり易く感じられます。
命令には絶対服従のようなイメージが強いせいか、私たちは【忠義】という言葉を使うことがほとんどありません。
でも、「好きな人のために」とか「愛する人のために」とか、時には「自分の会社のために」、「故郷のために」とか、そういう感覚は誰しも少なからずあるのではないでしょうか。
そういうもののために「何か役に立ちたい!」と思うこと。
絶対的主君とその家来という関係の中ではなく、もっと根本的な「愛」の中に【忠義】はあるのだと思います。
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