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【上杉謙信】敵に塩を送る

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時は戦国時代、越後の龍、上杉謙信と甲斐の虎、武田信玄はそれぞれ天下統一を目指して国を安定させ、勢力を拡大、隣国に住む者としてぶつかり合うこととなる。

かくして川中島で4度にわたる決戦が行われたが両者譲らず、痛み分け。

一方で両者はそれぞれ互いにぶつからないルートで京都を目指していた。

上杉謙信は北陸ルートで上洛に成功。足利将軍義輝から関東管領を任じられた。

一方の武田信玄は太平洋側からの東海ルートで都を目指すも、途中駿河の大大名今川氏と対立。

ここで今川氏真は、姻戚関係にあった相模国の北条氏康の協力を仰ぎ、甲斐へ向かう商人の往来を禁止する武田領内への「塩留め」を行った。

このことで甲斐に塩が入らくなり、海を領土に持たない甲斐国では死活問題、領民達は非常に苦しんだという。これを聞いた謙信は、敵である信玄の窮状を哀れみ、一通の書状を送ったと言われる。

「私が貴公と戦うのは弓矢であって、米や塩で戦っているのではない。これより先、塩が必要ならば我が国から供給しよう。」

また謙信は併せて、越後と甲斐で取引される塩が高価にならないようにしたとも言われている。

義とは

武士道における【義】とは、「正義」や「正しい行い」のことを意味します。

謙信はただ勝つことよりも武士道の【義】を重んじ、敵を助けました。

「敵に塩を送る」という諺の由来となった有名なお話です。

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