名は勝ち取るもの
武士道における【名誉】とは「名」を「誉れ」に感じること。
「自分の名前を誇りに思う」ことです。
武士にとって「名前とは勝ち取るもの」でした。
手柄や功績を残すことで、得られるもの。
それは自分の功績だけではなく、時としては親の、そしてそのまた親の、更には先祖にいたるまでの功績も含めます。
ドラマなどでも目にしますが、戦場における「名乗り」。
「やあやあ!我こそは…!!」
その後には、自分の役職、出身地や戦場での手柄、親兄弟の功績なども含めて、自分の名前があります。
木曾義仲の「木曾」は、彼が挙兵した地名です。
直江兼続を「直江山城」と呼んだりしますが「山城守(やましろのかみ)」は彼の役職です。
今の時代でも「社長」をはじめ、様々な役職がありますが、時として名前の代わりのように私たちも使います。
勝ち取ったものも含めて「自分の名前」です。
だからこそ、その名前を大切にし、それを汚さないように死にもの狂いになったわけです。
私たちはどうでしょうか?
名前を忘れられたりすると、いい気持ちはしません。
間違えて呼ばれると、失礼だなと思うこともあります。
覚えてもらえると、嬉しい気持ちになることがあります。
覚えられたことで、身が引き締まる時があります。
でも改めて「名前を大切に!」と言われても、あまりピンとこないかもしれません。
戸籍があるから仕方ないですが、名前をそうそう変えることはできませんし、何より自分でつけることができません。
どちらかというと他人と区別をするための記号的な意味合いが強く、「誇る」という感覚は中々持てません。
でも…
その名前を与えてくれた人には、深く大きい想いがありました。
その想いを受け継いで私たちは生きています。
それはとてもとても大切なものだと思います。
誇れずとも汚さず、守っていきたいと思います。