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【葉隠】自分という刀

葉隠より
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意地は内にあると、外にあるとの二つなり。
外にも内にもなきものは、役に立たず。
たとへば刀の身の如く、
切れ物を研ぎはしらかして鞘に納めて置き、
自然には抜きて眉毛にかけ、
拭ひて納むるがよし。
外にばかりありて、
白刃を常に振り回す者には人が寄り付かず、
一味の者無きものなり。
内にばかり納め置き候へば、錆もつき刃も鈍り、
人が思ひこなすものなり。

葉隠より

意地というものは内にあるものと、外にあるものと二種類ある。外にも内にもないのであれば役には立たない。たとえば刀の抜き身のようなもので、よく研いで鞘に納めておいて、たまには抜いて眉毛の高さまで掲げ、拭いて納めておくのがいいだろう。外に出して刀を振り回してばかりいる者には人が寄り付かず、仲間もいなくなるものだ。しかし、内にばかり納めておくと、錆もつき刃もダメになり、人から馬鹿にされるものである。

自分を持つこと

ここで言う「意地」とは、武士にとっての「武士道」のことでしょう。

今の私たち流に言うならば、「プライド」や「ポリシー」のようなものと言えるのかもしれません。

やはりカタカナにしてしまうと、ちょっと軽い感じがしてしまいますが…

これこそが自分なんだ!という、決して譲れない思いのことです。

「葉隠」では、それを「刀」に例えています。

日頃から闇雲に振り回すのではなく、鞘の中にしまっておいて、忘れないように時々手入れをしてあげることが大切だと言っています。

自分を貫くということはもちろん大切ですが、誰にも合わせず常に自分だけを貫いていれば、誰も付き合いきれません。

かといって、いつも自分を殺してばかりいては、一体どういう人なのかすらも分かってもらえないでしょう。

そもそも、刀すら持っていなければ…
自分というものを全く持たないのであれば…

何の役にも立たないということです。

鞘に納めていたとしても、刀を持っているということは誰から見ても分かります。

内には確たる自分を持ちながらも、ここぞ!という場面以外では、表には出すことなくただただ磨き続けること。

これこそ「和して同ぜず」の極意だと思います。

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